久しぶりに「イデア論」を思い出しました。

前回の「ひょうそう」から時が経ちましたが、「ひょうそう」は確実に回復しています。


手術から1週間くらいはほぼ毎日病院に通う必要がありましたが、もうその処置からも解放され、
痛みも無く、爪を切り取った部分は爪が生えてくるまでの皮膚ができあがりました。



今回の話というのはこの「ひょうそう」とは全く関係の無い事柄です。




こんな事をいきなり書くのも何なんですが、昔から人生というものを不思議に思っていたんです。
人はなぜ生まれ、なぜ生き、そして死んでいくのかと。


この事柄に関しては、太古からいろんな哲学者、宗教家達が考え抜いてきた命題です。


古代ギリシャのプラトンは、「イデア論」というのを説きました。

僕は哲学が専門ではないので、いろいろ読んだり聴いたりした情報ですが、誤解を恐れず分かりやすくざっくり説明してみようと思います。


私達が現実として感じるこの世界は、実は洞窟の壁に映る我々の影のようなものだと。

実際の、本当の世界はこの影の元になっている世界だと。




最近、この「イデア論」のような世界観が本質をとらえているのでは無いか、と感じるわけです。

この世というのは、ひょっとしたら幻想なのかも…。



ここまで読んだ方、是非とも僕のことを心配しないで下さい。
僕はストレスなどで頭がおかしくなったわけではなく、いたって正気です(多分)。



ここ数年は、現実的な忙しさに埋没してしまっていて、昔からのこういう疑問を考える余裕が
無かっただけです。

かつてあった、僕がバークリー時代に立ち上げたHPにはこういう内容が結構載っていたのですが、ウィルスのせいか更新不能になって閉じてしまいました。

今思えば恥ずかしい内容のものがほとんどですが、今回の記事だってそれ以上に恥ずかしい内容ですね…。



今またちょっと事情があって時間ができました。
そしてこのまま行けば、その時間は長期間に渡って確保できそうな感じです。


それは一般的には不幸と呼ばれる事ですが、そうとは言い切れないかもしれないのです。
事情を知っている方はここまで書けば分かるでしょう。



せっかくできた時間で、また探求をいろいろしたいと思います。

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