久しぶりの自己分析

最近、「変わっている」と言われます。

実は、最近に限った事ではないんですけどね。

いつの頃からでしょう、僕が変わっていると言われ出したのは…。


小学校の頃は、変わっているなんて一言も言われた事はありませんでした。
むしろ没個性的というか…。
自己主張とかはほとんど無くて、周りの意見をなるべく汲む姿勢だったと思います。
やりたくもないのに推薦されて学級委員などやった記憶もあります。

中学生の頃。
思い起こせばこの頃ですね。変人化の兆しがあったのは。
親の仕事の都合で、1年生の時に半年間アメリカのヴァージニア州に住んだのです。
日本人学校ではなく、普通に現地の中学校に行きました。
この体験は色々刺激的な事も多かったのですが、孤独感も強かったですね。
この影響は結構強いと思います。
その後に日本で転校もしましたし、何事も移り行くものだ、というのを嫌々ながら感じ始めた時期だったかもしれません。
しかも受験勉強なるものが始まり、世の中の不条理を感じ始めた覚えがあります。

高校生の頃。
この時期は、一言で言ったら嫌な奴でしたね(今でもそうか…)。
多くの人がそうだったのかもしれませんが、自意識過剰だろ!と突っ込みたいです。
大嫌いな大学受験勉強も差し迫って来ていたし、精神的にも未成熟だし、負担が大きかったと思います。
僕の人生は他人からは要領良く生きてきたように見えるかもしれませんが、そうではありません。
反社会的な感情は結構強かったですね。
今になって当時を分析すると、何もかも幼稚なクセに周りに認めてもらいたがっている子供ですね。
思い返すと反省点だけで夜空の星の数くらいありますが、まあ今の自分があるのもこの頃のお陰です。
自分をいかに他人と差別化するか…。
そう思う、という事がやはり変わっているのかもしれませんが、世間との摩擦も増えて来たように思います。
世渡り下手というか…。口下手でしたし。
今では考えられません。


この後は大学、留学と続くわけですが、ここまでざっと書いただけでもこおよその事は判ると思います。
昔は変わっている、と言われる事が快感だったふしもありますが、今ではそれもどうかと思うのです。

もちろん音楽家としては、世界で自分にしかできなくて、しかも人に素晴らしいと思ってもらえる音楽がやりたいのです。
当然それには個性的な演奏が求められます。
しかし、世の中の人に共感を持ってもらう為には、やはり他人の気持ちも判らなければなりません。
独創的でありつつも、世間のより多くの人の気持ちを理解する、という難題を突きつけられているのです。
どちらも優れている人は少ないのですが、そこに理想像があるのは確かです。

なので、ただ単に変わっている、というのは片輪の欠けた二輪車でしか無いのです。
何事も調和が大事だな…とここでも思います。
なので、
「僕は単なる変わり者では無いですよ!」
と堂々と言える日がなるべく早く来るように精進するのみですね。

コメント

匿名 さんのコメント…
変わってますかね?いい意味で個性的ってことなんじゃないでしょうか。
私は経験ありませんが、幼少期に異文化に放り込まれるって衝撃的でしょうねぇ。
自意識過剰だったころのジュニーさんに会ってみたいです 笑
匿名 さんのコメント…
単なる変わり者じゃないですよ!と思いますが・・・。
それにしても、小さい頃から色々なことを考えていたんですね。
私は自分でも認めているけど「見た目と性格にギャップがあり過ぎる」と言われます。「見た目に騙された」「黙っていればお嬢様タイプなのに」と言われ続けて何年になるか。

高校時代、一体何がそんなに自意識過剰だったのでしょう??
ジュニー さんの投稿…
あびさんへ

ええ、変わっている、と言われます。普段みんなあえて口にはしないですが、尋ねるとそう答えられます。
幼少期、特に思春期に異文化に放り込まれるのは影響が大きいと思います。
自分の身は自分で守らなきゃ!と無意識に思ったかもしれません。
自意識過剰な頃…、勘弁して下さい(笑)



ゆうさんへ

まあ昔から考え事は趣味みたいなものでしたからね。まだまだ書いていない事は沢山ありますよ…。
僕も見た目と性格にギャップがある、と言われますよ。
あんまり第一印象だけで人柄を特定しないように気をつけています。
何が自意識過剰か…。
自己を過大に評価していたんだと思います。

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