2008年7月3日木曜日

巡って巡る話

今回の投稿では、非常に堅い題材にお付き合い下さい。

「人はなぜ生きるのか。」

やれやれ、と自分で思います。
どうしてこう答えの出ない事を考えるのが好きなんでしょうね。
先に言っておきます。結論は出ていませんよ。


世間一般の人がこういう事を考え出したのは、日本では明治の頃かららしいですね。
近代化の波が押し寄せ、共同体の一部であった人が、個人個人に分かれてしまいました。
それまで、共同体が生きる意味や役割を教えてくれていたので、みんなあまり疑問を感じずに生きて来れたようです。それで成立していたのです。

しかし、個人主義が確立してしまった今となっては、それは夢の残骸です。

今日では、私達自身が生きる意味を獲得しなくてはいけなくなってしまいました。
ある意味人類の進歩かもしれませんが、一人一人の精神的負担は比較にならない程増えてしまいました。


かつて、「人はなぜ生きるのか。」という疑問に答えてくれるものは宗教でした。
いや、今でもそうなのかもしれません。
しかし、近代以前のように、ほぼ全ての人間がそこに答えを見出していた状況とはあまりに違います。
その代わりのようなスピリチュアル、占いなどもありますね。
個人的に江原さんや美輪さんは好きですけど。


現代の日本人というのは、世界で類を見ないほど宗教嫌いでもあります。
太平洋戦争時の国家神道の暴走に危機意識を抱き、今では誰の記憶にも新しいオウム真理教の暴走もありましたからね。
そうなってしまったのも仕方の無いことかもしれません。

とまあ、これまでは自分の意見というより、今まで見聞きした事です。

「人はなぜ生きるのか。」
これは非常に奥深い問いですね。

少なくとも、飯を食って、仕事して、寝る、という事をする為だけではありません。
そして退屈しのぎでも無いと思っています。

死んだら無になる。
これは死んでみないと断言できませんが(いや、死んだら断言できないか…)、そうでは無いと信じたいですね。
ここでどちらの立場を取るかで全然生き方が変わってきてしまいますね。

しかし、生きる意味は無い、とする立場で生きていくのはどういうものなのでしょう。
心は砂漠のようにカラカラに乾いてしまうのでしょうか。
自分の事も、他人の事もどうでもよくなってしまうのでしょうか。


人間というのは、意味の無い事には耐えられない、と言われています。
意味が無い(と当人は思っている)人生には人は耐えられないはずです。
それに、死ねないから生きている、というのも実に情け無いじゃないですか。


少なくとも僕は、生きる事には意味がある、という立場です。
意味があるからこそ生きるのです。

では一体どんな意味があるのでしょう。

さて、長くなってきたのでこの辺りで取りあえず切り上げようと思います。
この先は人によってあまりに違う為、立ち入るのは難しい領域です。
しかしこんなブログを始めてしまった以上、考えがまとまったらまた書こうと思います。
なんだか小難しい内容の多いブログですね(笑)。

2 件のコメント:

A Girl From Osaka さんのコメント...

遠藤周作さんだって亡くなりましたが、彼の人生には多くの人を励まし、考えさせられた、よい作品を残しましたよね。
どんな人も神が目的をもって作ってると思うのです。だから役に立つ生き方をしたいです。ミュージシャンだから、人を音楽で和ませたり喜ばせたりしたいです。

ジュニー さんのコメント...

a girl from osaka さんへ

遠藤周作は大好きです。
彼のように人に良い影響を与えられる人間になりたいですね。
僕自身はキリスト教徒では無いので、多少感覚は違うかもしれませんが、神(もしくはそれに類するもの)がこの世を目的を持って作ったと思っています。