常に創造性を

金曜日はほとんどレッスンの仕事をしているのですが、
教えている現場で結構空き時間もある為、サックスの練習時間としても有効活用しています。


最近、自分の演奏の完成度が高まっているのを感じるのですが、
同時に少々飽きて来ていたのです。

アドリブソロにおいてジャズ系のミュージシャンは、各々の哲学によって何を大切とするかは一人一人違います。
常に挑戦的な演奏をしたい?と思う人が多いと思うのですが、完成度がかなり高くないと、
聞いている人には何をやっているのか判らないのです。
特に思うのは、管楽器の人はイメージできない音は吹くべきではありません。
ピアノの場合は取りあえず鍵盤を押せば音がでますが、管楽器でそれをやると音にすらならない場合もあるので。

完成度が高い=安定している という事でもありますが、=マンネリ化していると言えなくもありません。
まだバークリーの学生だった頃は、とにかくチャレンジしていました。
上手く行くか行かないか、まとまるかまとまらないか、それを心配するよりも思いついた事は全て試す、みたいな感じでした。
しかし、自分のテクニックを上回るアイデアというのは必ず失敗するのです。
そして、プロとしてまがりなりにもお客さんの前で演奏する手前、失敗は許されないのです。

しかし、自分の演奏に飽き始めていたので、今日の練習時間に色々新しい事を考えて練習してみました。これが楽しい楽しい。
こういうアイデアも、昔吸収しきれなかった事だったり、街角やテレビでちょっと耳にしたり、そういうところから拾ってくる場合が多いですね。


アドリブソロというものに関して、今までかなり深く考えて来たつもりですが、人間の脳から楽器をコントロールする指令を出す速度も考えて、完璧なアドリブソロというのは不可能なのです。
何をもって完璧なアドリブソロとみなすかは人によって違うのですが、僕の言及するのはかなりシビアな基準ですね。この基準で演奏できたプレイヤーは過去の天才達にも居ないですし、これからも現れないでしょう…。


まあこれは置いておいて、演奏の安定度というのは人生の安定度に似ている気がします。
余裕というのは安定からしか生まれませんが、刺激は不安定からしか生まれません。
しかしこの2つのうち、どちらか1つに極端に偏る、というのも在り得ないと思います。
安定しきっている、と思っていても、不安定の影が潜んでいるのに気づいていないだけかもしれません。
逆に、不安定すぎるのも人として生きていく事ができません。

ジャズにおける演奏もこれと同じだと思います。
その人の性分によって多少はどちらかに傾いていると思いますが、両方大事なのです。
また話が大きくなってしまいましたが、今日の練習のように創造性を発揮する事を常に心がけないといけないですね。しかしこの階段を登るには一筋縄では行かないのです。
どうやって登るか、どこに階段があるかは上がれば上がる程誰にもわからないのです。

ところで僕はどちらに傾いているのか?
それは内緒です。僕の人生観がもっとバレてしまいますから…。
しかし自分で思っているのと人から見るのではギャップがありますから、結局はそういう事は誰にも、さらに自分自身でさえも正確には把握出来ない、という事だと思います。

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